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研修医の声

研修医の声

第47期 徳増一樹
(内科コース)

第47期内科コースの徳増一樹です。僕は今年でもう3年目になりました。沖縄県立中部病院について、僕の知っていることを書いていきます...

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第48期 山田拓
(プライマリ・ケアコース)

遡ること2013年10月某日、当時医学部6年生の自分は卒後の初期臨床研修先病院のマッチング最終希望順位提出のため自宅でパソコンと向かい合っていた...

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病院見学についてのお問い合わせ
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〒904-2293 沖縄県うるま市字宮里 281番地
沖縄県立中部病院 総務課 医学部学生病院見学 担当:知花(ちばな)

Tel: 098-973-4111(代表) / Fax : 098-973-2703

第47期生 徳増 一樹(内科コース)

第47期内科コースの徳増一樹です。僕は今年でもう3年目になりました。沖縄県立中部病院について、僕の知っていることを書いていきます。

なるべく素直に、どんな病院か、どんな研修かが伝わればと思っております。気が向いたら見学に来てくださいね。夏と春だけではなく、一年中歓迎してます。

中部病院を知るきっかけ

当時、自転車部だった僕は医学部4回生の11月、先輩に誘われてツールド沖縄という自転車の大会に出場しました。沖縄本島の北部を出発して、長いコースの人だと沖縄本島と一周するという過酷なレースです(僕は一番短いコースでしたが・・・)。

その時の、沖縄の綺麗な海を見ながら自転車を漕ぐのが楽しくて、それに魅せられて3ヶ月後の2011年2月に一人で5日間沖縄ツーリングを決行しました。沖縄の友人宅や安い宿を巡り、中部地区では「赤道直家」という宿に滞在しました。ドミトリーで他の旅人と飲みに行き、酒好きの宿主とも飲みに行き、僕が医学生であることを見抜いた宿主が紹介してくれたのがこの沖縄県立中部病院でした。
5回生になったら、是非見学しようと計画しました。

しかし、医学部5回生の夏、在宅実習の短期研修中に足を骨折してしまい、実際に中部病院を訪れることができたのは5回生終りの3月でした。
そこで、ある内科インターンの先生が一人で新入院患者さんの病歴を取り、身体所見を取り、アドミッションノートを完成させて、かと思えば褥瘡の処置にでかけ、一人でデブリを行っていたのは印象的でした。
会う先輩は皆、「忙しいけど、充実してるよ!」と眼を輝かせており、このような先輩みたいになりたいと思い、中部病院の受験を決意しました。

そして、苦手な英語の試験も一時間に及ぶいつもは恐いであろう先生の笑みの溢れる面接を乗り越え、2013年の4月から晴れてこの病院の研修医になることができました。

気を引き締めるための同期の断髪式。オリエンテーション直前。二人は3年後結婚することに 初々しかった、1年目のオリエンテーション初日。
救命救急とは
中部病院の看板の一つである救急センターは初期研修で重要な柱の一つです。

研修医になりたての4月、僕の初めて受け取ったホットラインの電話は、救急隊員の「受け入れは可能ですか?」という必死な声が一番印象的でした。
救急車で飛ばして一時間かかる場所からの電話でした。
僕は初めての事だったので、周りの先生に受け入れは可能ですかと尋ねると、「もちろん。」と言ってくれました。
その先生は産婦人科の7年目の先生でした。どんな患者さんとも聞かずに即答でした。それが意味するのは、中部病院の救急医療に対する姿勢です。
毎日、ERで熱い指導をしてくれる部長の高良先生。ホットライン用のホワイトボードも救急車が来てない時は、レクチャーボードに。

どんな患者さんでも受け入れられるというキャパシティがあるということ、その責任を負えるだけの覚悟があるということ、すごいなと感じた4月の初めでした。

めまぐるしく動く病棟

まず、一年目の頃はPHSが本当に鳴り響きます。一日に何度も。

「先生、Aさんの解熱薬が切れたので処方してください。」「先生、Bさんが頭痛を訴えています。」「先生、Cさんがショックバイタルです。すぐ来てください。」「先生、Dさんの抗生剤の注射箋が今晩からありません。今すぐオーダーしてください。」「先生、Eさんが発熱してます。診察お願いします。」

優先順位がごちゃごちゃな内容を整理して、2年目の先生と協力して重症度の高い患者さんから対応していく。やっと、一人が終わったら、次々と次の電話がかかってくる。
そして、いつの間にか一日が終わり、当直帯の時間が来る。これの繰り返しでした。

休みがないと思っていたら、意外とあった中部病院
入るまでは、「研修医なんてどうせ休みなしでずっと働きっぱなしでしょ」と思っていました。

しかし、1年目は2週間に一日は必ず休みがもらえ、1年を通して2週間の休みももらえます。
そして、日常の業務も当直帯に切り替われば、起こったプロブレムは当直対応になるので、PHSを切って家に帰っても大丈夫です。(実際、日常業務が夜遅くまでかかることもしばしばですが...)
バケーションはしっかり休めます。海外に行く人もしばしば。僕はよく登山に行きます。
2年目の病棟担当医

2年目となると、研修の重要なポイントである「病棟担当医」となります。朝、指導医の回診の前にプレラウンドと呼ばれる、担当患者のバイタルサイン、その他問題点をチェックし、新たな問題点が発生してないか見て、ある程度のアセスメントとプランを立てておく、そして指導医の回診に臨むというのを一年間繰り返します。
担当するのは、だいたい15~25人ほど。この人数の中で、新入院があり、退院する人がいてという流れです。

例えば、1日の生活は

6:00 まず救急センターに行く。回っている科の入院がいるかどうかチェック。例えば、腎臓内科を回っていたら急性腎不全、低ナトリウム血症の患者など。
循環器内科を回っていたら、心筋梗塞や心不全、肺塞栓、感染性心内膜炎の患者など。一日の朝の入院は大体2~4人。
6:30 病棟に行く。自分の受け持ち患者15~25人くらいのプレラウンドと呼ばれる自分回診を行う。まず、カルテを見てバイタルと経過表をチェック。
そうこうしているうちに、前日の当直医から電話がかかってくる。
当直帯で呼ばれた人についての状況・対応についての報告を受ける。
約250~350人の内科入院患者全ての問題が当直帯は当直対応になるので、大変な仕事である。
カルテを見終わったら担当患者のベッドサイドへ。病状は改善傾向か、何か大きな問題は起こってないか、食事はできているか、身体診察などをチェックしていく。
7:30~8:30 カンファレンスに出席。症例検討会、CPC、スタッフによるgrand round(勉強会の様なもの)、M&Mカンファレンス、内科外科合同カンファレンスなどがある。
9:00 救急センターからスタッフと共に回診。ER→ICU→病棟という流れが多い。
一人一人回診するので12時から13時ごろまでかかる。
12:30~13:15 昼のコアレクチャー
一年を通して内科だけでなく、外科、救急、小児科、産婦人科、麻酔科のレクチャーがある。
昼ご飯を食べながら聴講。
13:15〜15:00 病棟業務、書類仕事、インフォームドコンセント、予定検査のオーダーなど。
経過が良くない患者さんのワークアップもしつつ、15:00までに救急センターに来院した内科患者さんは各内科に振り分けられる。
16:00、17:00 16:00、17:00頃から夕回診をしているグループもある。日中、動きがあった患者や新入院の患者を見に行く。
19:00 内科当直への申し送り。当直帯で呼ばれそうな人、採血結果をフォローして欲しい人などをピックアップして、申し送る。申し送り後は自分の仕事へ。
診療情報提供書、院内紹介状を書いたり、次の日の採血をオーダーしたりする。
当直でなければ、自分の仕事が終われば終了。土日、祝日は13時が申し送り。なので、土日当直は次の日の朝7時までなのですごく疲れます。
土日は同じ科を回っている二年目と相談して、休めたり休めなかったり...。
病棟の仕事に勤しむK先生。座る時間も惜しむ。
とうとう初期研修修了

"Welcome to hell" と言われて始まった初期研修がとうとう2年間で終わりを迎えました。
そんなに地獄だったか というと、確かに限りなく眠い状況で患者さんを診なきゃいけないのは辛かったかもしれません。
一晩に血液培養を8セットとった時は、自分は血液培養をとるために医者になったのかと思いました。鳴り響く緊急コールでは、心マをし、採血の検体を運び、血液ガスを分析し、心マをし、エコーを取りに行き、心マをし、完全に肉体労働者と化していることもありました。
また、医師としての責任の重さに潰されそうにもなっていました。でも、まとまりのない同期が心の支えでした。人生の中での大きな糧です。

入職した時はまとまりのあった同期も、バラバラな方向を向き始めました。
ハワイでの研修

沖縄県立病院群(南部、中部、北部)の後期研修医は、年間4名ハワイ大学関連の研修施設に1ヶ月間研修にいくことができます。
僕は内科研修として1週間「Tokeshi Dojo」と呼ばれる、アメリカのベテラン家庭医である渡慶次先生のもとで研修させていただきました。
朝3時半に起き、4時から病棟をバイタルサインを測りつつプレラウンドして、6時半から病棟回診。8時半から17時までクリニックの外来という生活を一週間続けました。クリニックが休みの日曜日は、病棟回診の後渡慶次先生が主治医のNursing Homeに行き、回診を行いました。
医学部生3年生の中の希望者もこの「Tokeshi Dojo」ローテーションがあり、彼らは6週間この生活をするらしいです。

その後、3週間は病棟の「一般内科」をローテートしました。チームは4つあって、それぞれ10名ずつほど患者さんがいました。
1年目研修医1名が中心で、医学生1名、2or3年目研修医1名が一つのチームとなり、適宜指導医への相談や他科へのコンサルテーション、患者さんへの病状説明を行っていました。
驚いたのは、医学生(アメリカの医学部3、4年生)も2−5人の担当患者さんがいて、4時半や5時ごろからプレラウンドを行っていたことです。自分でプロブレムを拾い上げて、それを自分なりに評価して1年目研修医と相談し、アセスメントとプランを立てていっていました。
国が違えば文化も違い、医療も違う部分も多々あると感じました。
これからの超高齢者社会の日本で、どのような医療が最善かは模索していかなければならないと強く感じました。

渡慶次先生との一枚。 同じハワイ研修の嶋村先生とアメリカの内科研修中のAndo先生、そして渡慶次先生
学会発表

「中部病院は忙しくて、学会発表もできないのではないか」と思われる人もいるかもしれません。僕もその印象を持っていました。しかし、内科認定医を取る必要もあり、初期研修2年間の間で一度は学会発表するのが「義務!」です。ほとんどの人は沖縄県医学会(一年に2回、那覇の沖縄県医師会館で行われるので、日帰り可です。)内科認定医を取るのにも必要です。
日本以外の海外学会も平成27年度から補助が出るようになりました。
僕は、研修医3年目の9月にヨーロッパ医学教育学会(AMEE2015 Glasgow, Scotland)に参加させて頂きました。
海外の学会は初めてで、知っている人もほとんどいなかったので最初は心細かったです。しかし、日を増すにつれ一つのことにこれほど世界中の人が熱心に考えているのかと思うと楽しくなってきました。
実際、海外の方だけでなく、日本人の先輩先生の話を聞くこともできとても参考になりました。
世界中に医学教育修士過程もできており、どこに進むべきか考えるきっかけにもなりました。

AMEE2015
長期コンサルタントとして中部病院にいらしていたRucker先生と。
最後に、新初期研修医の皆様へ

新研修医の皆さんへ〜自分が診るということ、主治医感〜

a) 目の前の患者さんを大切に
研修医になって、一番大きく変わるのは「責任」でしょう。多くの科でいきなり、「担当医」となり、入院患者の病棟管理を任されることもあります。
この任されるというのは、入院時の診察をし、診断とアセスメントをつけ、治療プランを立てる。もちろん、わからない場合は上級医と相談します。
患者さんとその家族に適宜病状を説明し、重症患者さんの場合は急変時の対応も話し合っておかなければなりません。
自宅から来た患者さんで自宅に帰れない時は、地域連携室とやり取りしながら転院先を探さなくてはなりません。
外来フォローの必要な患者さんは外来を組んで、必要に応じて地域のかかりつけ医に引き継ぎます。
このような一連の流れを「主体的」に一人一人の患者さんに行わなければならないのです。とても大変です。
ただでさえ、書類仕事などやらなければならない事が増えるのに、その上で毎朝患者さんを回診し、プロブレムを拾い上げ、解決していかなければなりません。
肺炎、腎盂腎炎、心不全といってコモンな疾患でも、複雑な患者さんも多々います。肺炎を繰り返し、耐性菌になっていて吸引吸痰が頻回に必要な方。
様々な弁膜症が合併した心不全の方。医学的に複雑なだけではなく、一人暮らしで自宅に帰れない患者さんなど社会的に複雑な場合もあります。
鑑別診断が多く挙がる必要はありません。
ただ単に、目の前の患者さんの事を考え、真剣に診療に携わっていく。
そのような心意気と姿勢が必要なのです。それが、研修医として、医師としての「責任」だと思います。
b) 仲間の存在
「なぜ当直明けでこんなに働かなければならないのか。」
「なぜ、月に12回も当直があるのか。」
「なぜ、こんなにPHSが何回も鳴るのか。」
「なぜ、上司からこんなに怒られなければならないのか。」

どんな理不尽なことも、どんな忙しさでも、どんな辛さでも、同期がいたから耐えられる部分が大きかったです。
一人では無理でしたね。PHSがひっきりなしに鳴っている当直中、わけのわからない患者さんばかりが来た救急準夜勤、書類仕事が溜まりにたまって途方に暮れている時、そんな時頑張っている同期の姿を思い浮かべると「もっと頑張ろう」という気持ちになれました。
辛い事があっても一人で抱え込まないでください。研修医はとてもつらい労働環境にいるので、愚痴や不平、不満は仲間には言っていいと思います。

「あの先輩に最初相談しようとしたら忙しいから後にしろって言われて、あとで相談したら、なんでこんなに放置したんだって怒られたよ・・・。」

僕がいる病院には、一年目研修医専用の部屋があります。二年目が終わろうとしている僕に対しても、愚痴を言われてるかもしれませんね(><)。
c) ロールモデルの存在
あなたは「こんな医師になりたい!」と思える先輩はいますか。
一つ上でも、二つ上でも、10コ上でもかまいません。あなたが強くその人に辿り着こうとすれば、きっと辿り着けるでしょう。
なぜなら、毎日、それを目指して努力するからです。具体的なモデルがはっきりとしているほど、それに到達するまでの道がはっきりするのです。

僕は、研修医になった時このようになりたいという先輩がいました。医師として臨床能力に優れているだけでなく、患者さんのことを考え、思う人間性にも魅力を感じたのです。
二年目研修医として数十人の患者さんを担当し、激務にもかかわらず表情は明るいものがありました。この人に近づきたいと思えば思う程、自分の日々の仕事もやる気がでました。

実際二年の初期研修生活が終わろうとしている今、どれほどその先輩に近づけたかはわかりませんが、この二年間の道のりはその先輩をイメージして築き上げられた物だと思います。
d) キャリアプラン:後期研修の後のことを考えて
初期研修医として入職するとき、後期研修の後をどうするか考えている同期は少なかったと思います。
みんな、ひとまず初期研修を耐えるぞ!という意気込みで仕事をし、後の事は後で考えるという姿勢でした。確かに、一つのことに集中するのは良いかと思います。
でも、二年目の終わりに差しかかって、僕も同期も後期研修後、または十年後、二十年後のことを考えているのです。

根本は、「自分の医師としてのキャリアゴールはどこか?」という所に立ち返ります。
開業し地域医療に従事したい人、大学に戻って教授になり研究と教育をやりたい人、病院の院長になり病院のマネジメント全体をやりたい人、中規模病院の内科部長でずっと診療を続けたい人など、様々だと思います。その進むべき道に向かって、どう軌跡を辿るかについて考え始めているのです。

忙しい初期研修です。でも、どこかで時間は取れます。具体的に考えていなくても、時間に余裕のある時はそのような事を考える姿勢が大事だと思っています。
そうすれば、自ずと今何をすればいいのか、一週間後、一ヶ月後、一年後、数年後に何をすればいいのかが見えてくるはずです。
e) 断らない!!初期研修の間は可能性を狭めずに
僕は二年間の初期研修で、一度も救急車のホットラインを断った事はありません。なぜなら、そのような事が可能な病院にいるからです。
各科専門医が常にいて、救急センターがER型で3次まで対応していて、当直帯でも多くの医師が病院内にいる。そういう環境だからです。

救急車は病院による事情もあるので、すべての患者さんを受け入れるというのは難しいと思います。しかし、Walk inの患者さんや外来に来た患者さんは全員診察しますよね。

「先生、ちょっと耳が聞こえづらくて・・・」
「先生、ちょっと目が見えづらくて・・・」

「ここは専門医がいないので、近医の専門科(耳鼻科、眼科)に行ってください。」
とすぐにいうことは、適切な責任を追わないという点で重要かもしれません。しかし、それは医師としての診療の幅を減らし、可能性を減らしているのです。
耳鏡を取り出し鼓膜の性状を確認し、音叉を取り出しウェーバー法を行う事は可能です。鼓膜に水が溜まっているから滲出性中耳炎ではないだろうか。
確かにウェーバー法でも伝音性難聴になっている。といった、評価はできるのです。さらなる専門的な評価や治療が必要であれば、専門家に紹介状を持っていってもらえば良いのです。

「目がみえなくなった。」という主訴で、脳梗塞の患者さんもいます。硝子体出血の時もあります。でも、それらは問診(突然発症か。血圧、糖尿病などのリスクファクターはあるか、など)と身体診察(もちろん眼底鏡を含めて)と頭部CTなどの検査データを総合的に加味して下される判断なのです。

最初の頃は、何がなんだか分からないと思います。だから、一つ一つの主訴に対して忠実に診察し自分で考え、きちんと先輩のアドバイス、フィードバックをもらいましょう。これが積もり積もって大きな臨床経験となって、どのような患者さんが来ても救急対応と専門科への適切なコンサルテーションという初期研修医が目指す目標に辿り着けるのだと思います。
今度こそ最後に

長い文章お付き合いありがとうございました。 「中部病院はいい研修病院ですか?」と聞かれれば、もちろん「いい研修病院です。」と答えるでしょう。
「でも、きついけど。」と付け加えますが。臨床医として、医学知識も技術も重要ですが、臨床経験も重要なものの一つです。中部病院はこの臨床経験はピカイチです。
そして、それをサポートしてくれる、なんといっても同期と、そして指導医の方々がいます。本当の患者さんを担当するというプレッシャーに誰でも押しつぶされそうになります。
でも、それを分かち合う存在も重要なのかなと思っております。

患者さんの最善の医療のために、最高の研修ができることが研修病院の責務でしょう。
研修は与えられるものではなく、自分たちで作っていくものです。このような環境に興味が出てきた医学生は、是非見学に来てください。
現場をみて、現場の研修を感じてください。研修は研修医が主体となって作っていくものだと信じています。

第48期生 山田 拓(プライマリ・ケアコース)

遡ること2013年10月某日、当時医学部6年生の自分は卒後の初期臨床研修先病院のマッチング最終希望順位提出のため自宅でパソコンと向かい合っていた。
この日は希望提出の最終日、元々地域医療に興味があり、中でも医療資源の限られた僻地や離島に身を置いての医療、また地域コミュニティーの1人として暮らす生活に憧れてずっと研修先を考えていた。
中部病院のプライマリケアコースも当初から気にはしていたが、その時の第一志望は全くタイプの別の病院に登録していた。

しかし、どうも決断に納得できない。
思い返せば中部病院は見学中、とてつもなく忙しなく、どんなに眠たそうでも、研修医の皆が何故か和気藹々していて、常にモチベーションが高い雰囲気...
この不思議な絡繰りが急に気になり、自分を誘惑してきた...そしてふとマッチングで一緒に受けた個性あふれる同期の顔を思い出した....

「このメンバーで中部病院の絡繰りに入りたい!」そう思い立ったこの時、締め切り時刻3分前、急いでキーボードを叩き土壇場で中部病院病院を第一志望に変更して提出した。
医者人生を変えるであろう一瞬だった。そして間もなくして私の中部病院での研修医生活が始まるのであった...

マッチング2次試験後の同期と沖縄料理店で顔合わせ


中部病院での研修は日々、「challenge(難題)」と「discover(発見)」の連続だ。
研修一年目(インターン)は早朝の病棟採血から一日が始まる。
高齢で皮膚や血管が弱くすぐ内出血してしまうオジィ、慢性腎不全で身体中がむくみ、血管が全然わからないオバァを前に採血管を持った手が止まってしまうこともあった。

そんな時は先輩研修医(レジデント)や看護師さんがすかさず教えてくれた。日中はレジデントに付き病棟業務、回診の手伝いや入院患者のプレゼンテーションなどを行う。
書類業務や慣れない薬の処方に戸惑いながらも常に病棟には近くに聞ける職員がいた。新患プレゼンテーションの際はスタッフ(指導医)の先生からその都度細かいフィードバックをもらえた。

夜の当直では看護師からの患者に関する第一報(first call)を全てインターンが受ける。
「〜さんが発熱しています」、「〜さんのモニター心電図がおかしいです」..夜中の2,3時に眠たい目をこすりながら不安な気持ちで真っ暗な渡り廊下を走り病棟へ向かうこともしばしばあった。
しかしそんな時は必ずレジデントが駆けつけ、一緒に患者に起こっている病態、疾患の鑑別、そして対処法を考えた。学びが多く、レジデントとの一体感を感じた夜だった。

また、救急室での準夜勤はインターンの「醍醐味」とも言える時間帯だ。というのも、夕方17時から夜23時までの救急外来をwalk inで受診する患者、そして救急車搬送で運ばれてくる患者を、 老若男女問わず初診(first touch)を担当するだからだ。
「お腹が痛いです」、「転んで頭を切りました。」、「おしっこが出ないです」、「動悸がします」、「子供が痙攣しました」、 などあらゆる主訴に対面する場所である。時にはshock vital、やCPA(心肺停止)といった重症患者にも遭遇する。計り知れぬ不安と緊張を胸に、聴診器片手に患者の元へ向かい病歴、身体所見を取る。
鑑別疾患を思い浮かべながら採血、レントゲン、尿検査など、検査も同時に進行していく..この一連の流れは確かに一筋縄ではないが、常に救急にはスタッフ、レジデントがいて、 叱咤激励しつつインターンを助けてくれた。

そして何より患者さんを無事にmanagementできた時の達成感は特別だ。今度同じ症例がきたらどう動くか、この主訴、バイタルなら何を大事に考えるのか.... 正にon the job trainingの毎日で日々不安が成長に変わっていくのを実感できた。そんな調子で一年はあっという間に過ぎていった。
正直体力的に、精神的に辛い瞬間も多々あったが、その度に同期や先輩に助けられ、中部病院の縦横のつながりの強さを実感した。



切磋琢磨してお互い支えあった同期(48期)一同

かくして、インターンが終わり、研修二年目(ファーストレジデント)として今年から働くこととなった。
2年目は正に病院の「主人公」として、主治医のスタッフから担当患者さんを受け持ちながら入院から退院までmanagementしていく。
採血や画像検査のタイミング、薬や点滴の導入・中止、転院先の交渉、患者・家族への病状説明、インターンの頃とは違うchallengeとdiscoverがそこにある。
しかしながらインターンの頃よりも多角的に把握するようになり、「〜の疾患で入院中の人」から「〜で治療中の〜さん」と患者への親密さがグッと近くなり担当医としての自覚、治療へのモチベーションも倍増する。

そして、かつてはインターンだった自分が先輩レジデントから指示されていたことを、今度は自分が考え、後輩インターンに指示する..その中でwork upの考え方や 検査オーダー、薬の処方といった一つ一つの意味、根拠を再認識し、後輩にもそれを教える機会となる。
教わるだけでなく教える立場にもあり、学生の頃より聞いていた「屋根瓦式」を日々体感するようになった。気づけば半年の月日が流れていた..

今後私は初期研修を終えた後はもう1年、中部病院での後期研修を経て、離島診療所で2年間勤務する予定である(プライマリケアコースは初期研修2年+後期研修3年)。
念願の島医者までまだまだ道のりは長いが、初期研修で学ぶ中で離島勤務への期待は確実に膨らんでいる..

学生時代、マッチングで中部病院を選んだあの一瞬.. あの時の選択は正しかったか?今までの研修生活を振り返り、私は自信をもって「Yes」と言おう。
そして次にそれを体験するのは今お読み頂いている他ならぬ、貴方であることを願ってやまない。ぜひ、中部病院の研修生活を垣間見にお越し下さい。
"You will see".. 人を惹きつける「何か」がここにはあります。

プライマリケアコースResident一同